夢を語る、15年の長さ

今日は、分野は違うが、実務家であり研究者の方の家でホームパーティ。私は部外者だが、ちょっとしたご縁で招かれました。

Oさんの言葉

主催者のOさんがおっしゃった言葉を幾つか(耳で聞いた言葉なので間違いはご容赦)。

我々は実務家であり、現場を見れる。それは現場で何が問題がかがわかるということだ。我々は社会的な貢献をする義務がある、と思っている。5年後にそれを引っ張るのがあなた達だ。

僕はOさんとは直接仕事で関係はないのだが心に響いた*1

TOPはもちろん数字を計算できなければならない。が同時に社員に将来のビジョン(夢)を提供する義務もある、と思う。夢と数字(お金)と技術、3つは難しいけれども、夢と数字もしくは夢と技術、このどちらかを語れるようになりたい。

15年前に我々が言っていた「○○」が、今、花開きつつある。あのころ言っていたよね。後から、多くの人が、私が○○の大家です、って顔をしながら出てくるだろう、と。そのとおりになりましたね。

長期のスパンで考えること、そして、(結果として)裏方でもよい、と考えられること。何かを結実させるためには、それくらいの度量が必要なのか。

自己顕示欲は、時として力になり、勢いとなる。が、それのみで通用する(許される)のは一時的だ。
私が自己顕示欲から開放されるのはいつなのだろう。その後に何が残るかは、自分次第。

Nさんの言葉

最近、Inputがないんじゃない?

おっしゃるとおりです。最近、2年かけて蓄積したものをすべて吐き出した感があります。Outputをしつつ、Inputをする、事が大切ですね。

Oさん、Nさん、参加者の皆様、ありがとうございました。

*1:私はこういう言葉に影響を受けやすいことは考慮する必要はあるけれども